ここは筆者の普段の生活を綴っております。
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5月30日(土)
アメリカという選択肢

お手伝いをさせていただいている日本人選手たちの記事がサッカーダイジェストに、宇都宮徹壱さんの力作として
掲載されました。

『アメリカという選択肢』

正に、「アメリカという選択肢」を選手の皆様に熱弁させていただき、無事に移籍され、自活・成長され、
アメリカって意外といいな、と思って貰えると素直に嬉しいものです。

と、同時に考えさせられることも、ありました。
それは追々と。

是非ご覧下さい(PDF形式)!

選手たちの様子は一括してこちらで。



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5月27日(水)
【ご報告】

MLSを初めて観戦したのは2000年6月10日、RFKスタジアムで行われたDCユナイテッド対KCウィザーズの試合でした。
当時はまだNECに勤めており、アメリカへの出張の最中に観戦に出かけました。 

その試合には、当時MLS最年少プロ契約のボビー・コンベイ選手(17歳)がDCの選手としてアップしておりました。
まるでMLSの将来を体現しているような印象を受けました。 
競技の質はまだまだ荒削りなものの、アメリカで10歳まで育った自分。
日本で始め、切り離せられない存在になったサッカー。 
『アメリカ+サッカー=MLS』 
何か自分と縁があるんじゃないかな、などと考えつつ、この時、MLSって案外面白そうだなと感じたのでした。 

2年後の2002年、NECを退職し、スポナビを経由し、UMASSのスポーツ経営学修士課程に入学したのでした。
MLSへ就職したいと言う夢と共に。 

今振り返りますと、留学時に、あるいはそれ以前のDC戦を観戦した当時には、
まさかここまで自分の人生に大きな影響を与える喜怒哀楽に溢れた5年間をMLSで体験することになるとは
思ってもいませんでした。 
(MLSに正式採用された日のBLOG) 

この5年間、MLSとSUMの急激な発展を目の当たりにし、その一員として取り組んできたことは
一生消えることのない誇りであり、自信の源であります。 

多くの出張や、国際イベントを通して出来た仲間や、ご縁は今後も一生大事にしていきたいと思います。
共に仕事をしたり、出かけたり、笑ったりするだけでなく、自分と妻が異国の地に居ながら、
異文化に慣れる手助けをしてくれたり、心地よく過ごせるために多くの手助けをしていただきました。 

このような多くの素敵な人々に囲まれて仕事を出来たことは表現できない程の幸運でしたし感謝してもしきれません。
その中でも自分の上司でありましたネルソン・ロドリゲスには一際お礼を述べたいと考えます。
BLOGでも何度も紹介してきましたが、自分が大学院生の時(2003年)から気にかけてくれ、入社後も、
時には厳しく、時には優しく、自分をここまで育ててくれました。
彼が居なければ自分の卒論から始まったパンパシフィックチャンピオンシップの新規立上げもなかったでしょうし、
今の自分がないとまで言えます。 

今まで何人もの同僚たちがMLSから旅立って行き、自分は彼ら・彼女らを見送ってきましたが、
この度、自分がついに転職をすることになりました。まさか自分がMLSを去る日が来るなど、
ましてや見送られる側に立つとは、思ってもおらず、まだ実感がありません。 

ただ、身に余るオファーで、じっくり考えた末に、スペイン、ラ・リーガの『FCバルセロナ』に移籍することになりました。 

MLSで行ってきたアジア市場の仕事に加え、北米市場の業務にも携わることになります。
「新興」と「ビジネス」が前面に出るアメリカサッカーから、今度は「歴史」と「伝統」の欧州サッカーへ
学ぶことがたくさんあると考えますし、いつかは母国のサッカーに戻りたいと考える身としましては、
「和魂洋才」の気持ちを忘れずにいれば、米国の経営「手法」と、欧州の「本場」、
両方を経験することは必ずや役に立つと信じております。 

勤務地はバルセロナではなく、MLS本部があるビルディング内のFCバルセロナNYオフィスとなりますので、
どこにも行きません(笑)。 

ここまで、自分の人生においてかけがえのない5年間を皆さん本当にありがとうございました。
また妻、そして両親兄弟皆の理解・支援のおかげで長らく海外で身勝手に突き進むことが
出来ることにも深く感謝しております。まだまだ色々と迷惑をかけるかと思いますが、
これからもどうか、宜しくお願い申し上げます。





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5月20日(水)
諸々気分転換

ここ数ヶ月色々とストレスが溜まっており、その訳は直に説明できることと思いますが、そんな中、
幾つかそんなストレスを吹き飛ばしてくれる瞬間をここ数日もらうことが出来ました。 

一つ目は、高校時代の同級生で、高校を卒業以来、音信不通であったIさん。そのIさんと共通の友人で、
マイミクでもあるNさんがNYに遊びに来ると言うことで、「武ちゃん、IさんもNYに今いるの知ってた?」と聞かれ、
いえいえ知りません。
で、折角の機会!14年ぶり(?)の再会を果たしました!当時の思い出話や、Iさんの旦那様の面白い話に、
ここ数ヶ月ないと言う位、頬と腹が痛くなるほど笑った会でした。 

翌日の夜は、NYのスポーツ界で働いている仲間たちと久しぶりにいつもの定例夕ご飯を。
近況報告や、励ましあい(?)、情報交換、関係ない下らない話とか。いつも気がつくと、
夜中を過ぎていて、元気をもらえる会でした。 
いつも感心するのは、もうここ数年定期的に集まるのですが、毎回違うプロジェクトや、話をしていて
マンネリすることがなく、すごく皆が個々に頑張っていると言う点なんですよね。
かと言って変な過剰な競争意識もなく、お互いにリスペクトが持て、助け合える関係でもある。
良い刺激をいつも供給しあえる同士たちだなぁ、と。

最後に、前の日記でも書いたようにサッカーのシーズンが終わり、
1年近く履いたスパイクも愛着がものすごくあったのですが、壊れ始め、久しぶりにスパイクを買い換えることに。 

一丁前に悩むのですが、悩んでいたら、大手スポーツメーカーのスパイクの商品開発部に以前勤めていた同僚が

「スパイクなんてね、プロが履いている奴は相当お金をかけて、色々な技術が織り込まれた特注を作っているけど、
私たち一般人が買うスパイクは、大した技術も織り込まれていないし、プロのための特注費を
回収するために形とデザインだけ似せた大量販売ものなんだから、悩むだけ無駄よ」

と。 
夢も何もない実話です。。。 

でもまぁ、そのデザインと形、そして値段との兼ね合いで以前から欲しかったのを買いました。



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5月17日(日)
変な目で見られようとも良いなと思う。

週末のFC Japanのリーグ戦が終了しました。

9月に開幕し、5月下旬に閉幕。途中、冬の中断期で2ヶ月位(12月下旬〜2月下旬)空きますが、
シーズン中の半年は土曜日の練習と、日曜日の試合で、週末は両日ともこれにとられます。

合計16試合。今年は結局7勝8敗1分で順位は他チームの結果待ちですが、
昨年のチーム歴代最高位4位(7勝7敗2分)は越せずじまいで悔しいです。

ただ、個人的には2007年から2回手術をして以来、1年10ヶ月ぶりに復帰をした今季は、
怪我なくシーズンを通して過ごせた一年で、チームで唯一全試合フル出場は、大きな意義を持っています。
ここまで身体に気を使ったことは人生でないし、色々勉強になりました。

最後のクロアチア戦が終わって、副キャプテンKと握手をしたとき、アマチュアサッカーながら一瞬、
目頭が熱くなるものがありました。自分でも意外だったけど、彼とはこの試合でも本気の喧嘩をしてましたし、
シーズンを通してお互いに試合中、言い合ってチームを牽引した気持ちがあったからでしょうか。
年下ながら随分と大人で、いつも感心するのは、お互いに結構激しく言い合っても、わだかまりが残らない奴なもんで、
最後の握手時、「今季、終わったなぁ、長かったなぁ。色々あったなぁ。」と走馬灯が。
シーズンが終わって気と身体が緩んだのでしょう。

FCJに28歳時(2005年)に入団して5シーズン目が終了。その内2シーズン(2007年、2008年)は怪我でだめ。
毎週外国人を相手に唯一の日本人チームとして試合をするこのNY州最大のリーグは魅力あるものです。

気がつけば、33歳。歳のせいで涙腺が緩くなったんだろうか・・・。
でもそこまで思い入れを持てて取り組める週末、健康な身体、仲間、
そして何よりも理解・サポートをしてくれる家族があることは、変な目で見られようとも、良いなと思うし、
自分の宝です。

今週から空く日曜、何をしようか考案中です。



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5月12日(月)
この落差は何?

豚インフルエンザのニュースが日本のウェブサイトでは大きく取り上げられていますが、
アメリカでは初めは大きかったものの、今では下火気味に。 

成田空港での検査とかのニュースを読んだ時は、「さすが日本はしっかりしているな」と言う誇らしさと、
同時に少々過剰かな、とも感じました。何故ならNYではマスクをする人を殆ど見かけません。まだ一人か、二人かな。 

で、ご存知の通り、NYの地下鉄の汚さは有名で、各種民族が毎日通勤に利用しており、普通に咳きとかしている人もおり、
綺麗で、殆ど日本人しかいない成田空港より余程危険だわ!と半ば観念した気持ちで毎日通勤しております。 

実際、このインフルエンザ、どうなんでしょうか?過剰な日本と、鈍感なアメリカの間で、その落差に考えてしまいます。
狂牛病の時も、日本では全面禁止になりながら、アメリカでは皆、普通に牛肉を頬張っている
(NYの吉野家でも普通に販売してました)。
用心することに越したことはないですが、どうなんでしょう?



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5月9日(土)
続・誕生日

ようやく春らしくなってきたNYですが、週末を利用して、ご近所さんたちで集まり、たこ焼き/餃子パーティを。 

お腹一杯、好物を食べることが出来ました。 

各家庭により、たこ焼きや餃子の作り方が異なり、夫婦共々大変勉強に。
持ち寄っていただいたものには「手作り・ライチアイス」など、夜8時過ぎまで外が明るい、
初夏の夜を楽しい一時で過ぎました。皆さん本当にありがとうございました
(特にSこさん、テキパキと料理、ありがとうございました)。 

また、昼間、会社に行っている間に、郵便局から不在配達通知が届いており、週末に郵便局へ荷物をピックアップに。 
大きめの箱で、Y選手から。何だろう、とわくわくしつつ、家で急いで開けたら、何と・・・、
自分の誕生日と同日に彼がアメリカに移籍して初めてのゴールを決めた記念スパイクを、
プレゼントとしてわざわざ下さいました。 

大事に我が家に飾らせていただきます。本当にお気遣いありがとうございました・・・。





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5月7日(木)
時間が止まった瞬間

瞬間美。





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5月2日(土)
娯楽か、仕事か

同時に3試合観戦+1。 

吉武さんのチャールストン戦、平野さんのバンクーバー戦、そしてMLSのDC United対FC Dallas戦。 
その後、鈴木さんと西村さんのポートランド戦。 

明日は自分の試合です!




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5月1日(金)
高校生インターン

MLSではインターンを季節毎に採用しています。大体各部署に1,2名。合計すると、20〜30名近く、
3ヶ月〜半年いることになりますでしょうか。 

数ヶ月の間で、色々な経験を下に皆ステップアップをして行き、自分のインターン時代をいつも思い返します。 

インターンの目的は大別して二つ。 

1)本当にこの業界が、職種が、会社が、自分の働きたい場所なのか、就職活動を始める前に体験する、
自分の目で確かめる機会。 

2)実地訓練、及びネットワークを広める機会。 

いずれにしろ、ここでの経験を下に皆羽ばたいて行く。インターン生を受け入れる側も当然優秀な子は
正社員としてオファーを出す「観察期間」となり、非常に合理的なシステムだと思います。
ほんの数回の面接とかで決めて、後でどちらかに不幸な結果になってもいけないですし。 

自分の下にもインターンたちは十数人程通過して行き、今でも連絡を取り合ったり、MLSに就職をし、別のチーム、
あるいは部署にいる者もいます。 

この季節は丁度、インターンたちが入れ替わる時期で、送別会が多い一方で、新規インターンの面接も立て込みます。 

そんな中、MLS人事部は、高校生たちに社会見学のような位置づけでインターンシップを提供する
NY市主催団体「Ladders to Leaders」と2年前から提携し、高校生を受け入れることをしています。  

我が国際部にも高校生を受け入れることになり、4名ほど面接を実施したのですが、
感心させられる優秀な子も見受けられました。感心したのは、

「大学に入学する前に、受験する学部を選ぶ際に、マーケティングが自分の本当に興味を持っている分野なのか、
実際に会社でマーケティングの実体験をした上で受験をしたい」

とか、

「前のインターンはヘッジファンドで、12万円儲けた」

とか。 

自分が大学で進学をする学部を選ぶ際、ここまで絶対に考えていませんでした(笑)。 

また「将来の夢は?」と言う質問に、きっぱりと

「大統領です。」

と言い放ち、

「大統領になった暁には、今までのアメリカ合衆国の間違った外交政策を変えて行きたい。
そういう意味でもグローバルなサッカー、あなたたち国際部のインターンに興味を持ったし、役に立つと思う。」

と言ったた女の子には、思わず「すげぇ」と心の中でつぶやいてしまいました。 

6月からは、高校生の子も含めてまた新しいインターンが三人来ます。
こうして毎期新しいフレッシュな人材に出会えることは楽しみですし、見習うことも多いです。


 


         Copyright © 2002 Takehiko Nakamura.
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