ここは筆者の普段の生活を綴っております。

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1月24日(水)
リラックス法

リラックス法は色々とあると思う。 
趣味に没頭したり、寝たり、お風呂につかったり。 

自分も趣味に没頭するのが一番良いのだが、如何せん怪我のためにサッカーを出来ない。
だから体が先ずそんなに動かせない。 

そうすると、TVを観たり、TVゲームをしたりするが、それもサッカー。 
すると気がつけば仕事のことを考え始めていて、気がつくとストレスをまた溜め始めていて、疲れが抜けない。 

困ったな、と思っている所に、最近は読書が逃げ道の一つに。 
サイモンからもらった「変化を恐れるな」と言うメッセージと共に、かの有名な「チーズを動かしたのは誰」と、
「レッド・オクトーバーを追え」で有名なトム・クランシーの書いた「スプリンター・セル」。 

後者の本は出張先に本棚に新作が出ているのを見つけ、思わず「おっ!」と口走ったのを聞きつけたネルソンが
「ほれ、クリスマスプレゼント」と言って買ってくれたのだ。これは3冊続けて読みきった。 

読み出すと止まらない。次はネルソンから借りている「The World is Flat」と、これまたサイモンから
「アイディアが溢れ出ることを止めるな」と言ってくれた「The Tipping Point」を読もうと思っているし、
最近恩師Hさんに薦めてもらった「The Birth of Plenty」も買おうと思っている。



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1月20日(土)
初蹴り

まだ怪我中で、見学だったので、初見学でした! 
寒いけど気持ち良い! 
早く復帰したいものです・・・。





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1月19日(金)
小見出しな一日

■初雪です! 

■ネルソンは部下に上司の評価もさせる。 
なので、正直に忌憚無くレポートを作成し、提出。 
「なるほど。良く解った。どういう時にタケはモチベーションが上がって、どういう時に下がるのか参考になったし、
自分の成長にこういう部下の声は貴重なものだ。ありがとう」と。 

■また、ネルソンにインターリーガを総括して怒られた。もっと出来ただろう。手を抜いたような印象を受けたと。
自分自身そう感じていたこともあったのだが、それなりに事情も色々とあった。途中で日本へ行く準備や大会中の
インディアナポリスへの仕事など。そうしたらこういうことを言われた。 

「タケは来年にはマネジャーになってもらうつもりでいる。そのためには、プロジェクト、予算、部下をマネージ
できないといけない。マネージをするからマネジャーなんだ。」 

「タケは後は部下をマネージする能力を伸ばす必要がある。部下をマネージする極端例は「部下が喜び勇んで
自分の部屋を片付ける」ように、何故それが重要で、何故それをその部下にやってもらいたいかと説明できることだ。
言い換えればどんな仕事でも部下に任せるときに、モチベーションをどうあげるかだ。」 

「唯、実はもう一つ、マネージするとき求められるのは、上司をマネージすることだ。自分が何をしているのか、
どういうサポートが上から欲しいのか、上をマネージ出来ないと、容量オーバーの仕事量が際限なく落ちてきたり、
色々仕事をしているにも関わらず評価してもらえなかったり、今回のインターリーガの件のように誤解を受け、
悪い印象を与え、損をし兼ねない。だから部下と共に上をマネージする能力も伸ばすことを念頭に
今年一年取り組んで欲しい」 

なるほどぉ。。。。 

■サイモンの退職に伴い、オルランドさんが今度はうちの部に入ってくる。MLSの旧メトロスターズの
チームマネジャーで、MLSでは選手契約担当に従事していた。MLSでは新たな配属などがある場合、
大抵はオフィス内にメールが人事部からアナウンスされるだけだが、そこはネルソン。僕とルイスにホットチョコレート、
ミルク、クッキー、そしてマシュマロを60名分注文させた。 

それをカートに乗せて、3時のおやつの時間きっちりに、国際部でそれを押しながらオフィス巡業を開始。
MLS内全員のオフィスやキューブを回りお茶目に「この寒い午後に一服のホットチョコレートは如何ですか?
国際部にあなたのために入れさて下さい。ミルクは?クッキーは?マシュマロは?」 

「所で、今月よりこのオルランドが国際部に加入しました。どうぞ宜しくお願いしますね」 

と、オルランドの紹介をホットチョコレートと共に個人的にMLS内全員に、国際部で巡業しながら紹介して回りました。
サイモンが加入したときもプレッツエルを持って回りました。素敵ですよね、このユーモアと配慮。
皆笑いながらオルランドに握手してました。 

■夜は学生時代NYに留学・研究に来ていたことがある伯父さんがNYに来訪中で、夕ご飯を一緒させていただき、
ジャズ演奏を鑑賞。実は父方の苗字は「滝川」。理由あって父から「中村」です。そして父も含めて親戚一同
「滝川一○」という名前。 
織田信長の家臣「滝川一益」に繋がるそうです。思わずルーツ探求の旅への欲求に駆られました。 

■FCJで仲の良いチームメートMがLAに長期出張に出てしまうことに・・・。そこで送別会ではないけど、
静かに一緒に飲みました。

   



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1月18日(木)
オフィス勤務

久しぶりにipodを聞きつつ、読書に耽りつつ、地下鉄で通勤をし、コーヒーをオフィスのキッチンで入れて
自分のキューブに座り、机のランプをつけ、パソコンを立ち上げ、ゆっくりと来ているメールに眼を通す。 

普通の仕事の、一日の始まりだけど、嬉しい! 

仕事後は、暖冬から一変、厳冬の中、マフラーとコートにくるまり、帰宅をし、久しぶりに家でTVゲームをする。
或いは、NYにある日本居酒屋に足を運び、FCJのチームメートと色々と語ったり、仕事オフモードになれる。 

こうゆっくり出来るのってやはり素敵です。 

ベッカムのニュース以来、様々なお便りをいただくことが出来ており、今まで振り向きもされなかった
MLSへの効果を実感しております。すごいですね、彼の影響力は。 




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1月15日(月)
帰還

あけましておめでとうございます。
旧年中『も』大変お世話になりました。本年も何卒、宜しくお願い申し上げます。

さて、ようやくNYのアパートに帰ってきました。
お正月は毎年恒例のインターリーガがあるのです。南米王者を決定するリベルタドーレス杯にメキシコから
出場をするチームを決するインターリーガ。この大会の説明はそのサイトに譲りますが、毎年この大会は
1月の3日からアメリカ国内3都市で開催されます。それ故、大晦日に友人何人かを招いてのニューイヤーパーティも
控え目に、元旦早々からラガーディア空港へタクシーで急ぎました。

荷造りもパーティの前に済ませ、友人たちを持成す食事も一気にキッチンに篭って作り、翌朝日がまだ完全に
上りきっていない間に空港へ。

僕の部署の仕事は、企画・PR・プロモーション・チケット販売戦略構築・大会運営、チーム対応なので、
仕事の70%はNYのオフィスにいる段階で終える。

しかし、イベントに従事している方々であれば、重々承知の通り、イベントは「生き物」で
準備、手配、予定通りには絶対に行かないものである。

飛行機の中で、今回はどのような不測の事態が起きるのだろう、チケットの売れ行きはどうだろう、
あの準備はどれぐらい出来ているだろうなどと、色々と不安が過ぎる。

最初の行き先はヒューストンでした。
降り立って日差しの下にいれば何とかなるが日陰に入ると鋭い寒さにちょっと驚く。
レンタカーをし、ホテルへ。先入りをしていたプロジェクトマネジャーのサイモンと携帯で打ち合わせ。

昨夏、実施したFCバルセロナツアーで、自分がべニューマネジャーとして仕切った会場だけに
また来たなぁ、などと思いながらホテルへチェックインし、早速翌日にアメリカ入りしてくる
メキシコのクラブチーム8つの受け入れ準備に。

僕のホテルにはクルズ・アズルと、モンテレーが滞在。選手登録に間に合わなかったために出場は出来ないものの、
チームと共にトレーニングをするボルヘッティには思わず、ミーハー的に見てしまいました。

練習会場手配、食事メニュー選定、ホテルの部屋割りもメキシコサッカー協会を通して、NYで各チーム分
全てセッティングしてあるのだが、さすがメキシコのチーム、食事にイチャモン付けたり、練習時間及び
会場をくるくると変える。これが8チームだからたまらない。

到着早々に色々と面倒くさい。練習の時間や会場を変えられると、手配をその場で早急にしなくては
ならない。幸運にも自分が仕切る会場はNFLニューストン・テキサンズの会場故に、責任者とはFCBのときから
共に働き通した経緯より、何とかそれらのニーズに応える。チームバスが到着する15分前に芝生の手入れと
ゴールのセッティングなどをぎりぎりで終える。
練習中はファンやメディア対応も。

これらの連絡は僕らが雇うチームリエゾンの手腕に懸かるところが大きい。チームリエゾンとは、所謂、現地の
ことを良く知っていて、近くの病院や、スポーツ店などを知っており、なおかつ、チームの不満をうまく
マネージしてもらう。ホテルのチェックインがうまくいくか、飛行機の乗降がスムーズに行くか、
食事メニューから、会場から全てホテルと折衝をしてもらう。それ故、優秀なリエゾンが扱うチームほど
僕の携帯に電話は来ない。
逆に自分で判断や、チームをうまくマネージできないリエゾンほど、SOS電話を際限なくしてくる。

こういう大会を通して、優秀なリエゾンを今後の大会のために選別しておくことも僕の大事な仕事である。

一番困るのが、リエゾンという仕事以前にファンになってしまったり、チームの一員ど自分んを勘違いしてしまう
リエゾンである。そうなるともう役にあまり立たない。逆にプロとしてSUMの一員という自覚があり、
チームを管理できるリエゾンほど貴重な存在となる。

話は脱線したが、ヒューストンでの主な出来事は、試合中に大怪我を負った選手の病院対応と、
滞在中にお金を部屋から盗まれたというチームのクレームに対して地元の警察と一日かけて対応を
したことだろうか。

また、滞在中に僕が忙しいにも関わらず、ホテルまで日本食の差し入れをしてくれた後輩のM君の気遣いには
心底感謝しました。
試合のチケットをお送りする約束も僕が忙しさに感けて出来なかったことに本当に申し訳なかったと思う。。。

1回戦は無事に終えたが、チケットの売れ行きは意外なことにクラブアメリカの試合よりも、モンテレー対ティグレスの
試合の方が売れたことだ。
地元のヒスパニックのマーケターによれば、メキシコではクラシコであるこの試合の方が
人気が高く、メキシコのモンテレーから両チームのファンがこの試合を観にヒューストンまで
多く押し寄せたのだ。これもまた次回大会に向けて貴重な情報である。

毎晩朝方2時とかまで働く中で、2回戦ダラスへ早朝の7時半の便で移動。サイモンが早速寝坊をし、
空港でばったり会ったメキシコサッカー協会を担当するリエゾン、ヤスミナとダラスへ。

8チームがダラスへ入る前にサイモンと、空港で、バスの確認、各チームのエグゼクティブ用の配車確認、
ホテルの受け入れ対応など。

しかし、今度は買い物をしすぎた某チームが荷物のチェックインが時間内に終わらず、
チームの半分が飛行機をミスするというハプニング。またもや皆で対応。
もう本当にどうして?と言うような事態が頻発するのです。

全チーム対応を終えてようやく自分たちのホテルへ。

ダラスの練習対応は比較的楽であった。と言うのも地元、MLSのFCダラスの施設を使用できるからだ。
MLSの中でも最大の施設を保有し、スタジアムの周囲には15面もの天然芝の練習場があるからだ。
あちこちの大学やNFLの施設を利用するヒューストンとは異なり、チームの要望に柔軟に対応が出来る。

チーム移動のチャートもつけやすい。試合のチケットも予測通りに売れ、何とか予算突破。試合中も比較的
大きな問題はおきなかったが、ここまで色々とアンラッキーが重なってきたモレリアの不満が爆発。

食事が時間通りでなかったとか、バスの運転手が迷ったとか、リエゾンが全然仕事が出来ない、SUMと
メキシコサッカー協会はクラブ・アメリカにばかり良い対応をしてモレリアを蔑ろにしている。と、
クレームをつけてきたのでした。

勿論、不運が重なっただけで、そういう不公平はどこにもないのですが、さすがに僕たちも
悪いなぁと思うような不運が続いたので、副社長ネルソンが見るに見かねて僕をチームに専属で
付ける決断を。

見ていればリエゾンはまったくチームをマネージできておらず、このリエゾンを雇うことはもうないな、
と僕も痛感。リエゾンにはゆっくりしてていいよ、と言い、ホテル、チームマネジャー、バス会社と
全部仕切りの直すことに。おかげでチームの不満は何とか、終わる。

ここで余談だが、喫煙者であるモレリアのチームマネジャー、マリオと一服をしているとき、
空港のセキュリティのズサンさについて話していたときのこと。どうやらライターをある方法で
携帯すると探知されないとのこと。半信半疑であったが、このトーナメント中、僕はそれ以降その方法で
一度もライターを取り上げられることがなく、驚くのと同時に、いい加減だなぁとあきれることになるのです。

また、ライターに限らず、香水、ワックス、歯磨き粉、そのほか色々な液体を僕は荷物に入ってるのに
取り上げられたのは一度だけ。他の空港は全てOK。自分でも気がつかなかった他のライターも全行程一度も
取り上げられることがなかった。アメリカの飛行機の警備に非常に不安を持ってます。

話は戻り、ここら辺にくると嘔吐を感じるような気持ち悪さがこみ上げてくる。
と言うのも、睡眠時間が本当になく、食事を取ることもままならず、走り回って、携帯の電磁波を
頭にいつも押し付けているからか。毎試合テクニカルミーティングを実施するのだが(ユニホームの色とか
ベンチとか、ロッカーとか、主審、チケット配布、スィート確認、メンバー表配布など)大体、
全チームのマネジャーがいるため、色々な不満もその場で上がり長引く。

それらの資料は現地で作らざるを得ず、いつもぎりぎりまに集まる情報をPCでまとめ、KINKO'Sにて
打ち出してホテルにサイモンと時計とにらみ合いをしながらする。

余談だが、首回りが太ってきたからか、ワイシャツのボタンの最上部を締め難くなってきている。
それを見たネルソンが「良いものを上げるよ」と、お土産を買ってきてくれた。何と、伸び縮みする
補助ボタン!面白いものがあるんですねぇ。というか痩せなくては・・・。

ダラスからLAへいよいよ移動。今度は僕が朝起きられず、飛行機をミス!皆睡眠を欲して仕方が無い状況に。
トリであった放送管理のMLSでも親友のジェイソンにピックアップをしてもらい、空港へ。降り立ったLAは
今度はTシャツでも平気なほどの陽気。空港でのアジア人の多さや
時折聞こえる日本語の会話に
LAとアジアに近さを確認。レンタカーをし、レドンドビーチのホテルへチェックイン。
しかし荷物は解かない。なぜなら翌日すぐにインディアナポリスへ一瞬行かなくてはならないからだ。

LAではサイモンと合流をするものの、今度はクルズ・アズルがホテルへの不満をぶちまけ、変更を
迫ってきている現場に。同時にメキシコリーグコミッショナーが他のスィートルームが良いなどと
言い出し(去年もそうだった)、サイモン、ポール、そしてリエゾンのマルティンが
消化に奔走。自分はモレリアの無事を確認し、ハグアレスの練習会場変更の手配。。。

くるくる全てが回ってました。
携帯は以前もここで紹介した新品の者でしたが電池がすでにすぐに死んでしまう。
この嵐が過ぎ、何とか全チームがチェックインを。
毎回都市を全チームが移動をする際、新しい都市に落ち着くまでの日が最も忙しい。
いったんチェックインさせ、慣れさせるまでが本当にしんどい。
チームたちには滞在先の写真から、練習会場の写真、メニュー、全て去年のうちから確認しているのだが、
絶対にうまく行かない。

夜のテクニカルミーティングでは今度はネカクサが不満を。どこまで対応をしたらチームの不満は出ないのだろう、
とがっかりしながら部分的にではあるがスペイン語を拾う。

しかし、このインターリーガという大会はメキシコリーグのチームのプレシーズン大会なのである。
新チームの始動、新監督、新メンバー、そしてリーグ開幕を目前に控える。
こういう中で、決まってこのインターリーガで成績の悪いチームは必ず不満をメディアにぶちまける。
それは自己防衛なのでもある、とメキシコサッカー協会広報のザバラが教えてくれた。
シーズン開幕を前に無様な戦いをしてしまった監督やチームはファンに対して言い訳をしないと
風当たりが強くなり、シーズン開幕を待たずに監督交代など起きえる上に、この大会に勝てなければ
賞金が懸かるリベルタドーレス杯に出場できないのである。
実際に某監督は、「次負けたら俺はクビなんだ」と。

色々な、本当に色々なものを含まれる大きな渦の中にいる気がしました。
実際、メキシコの新聞にはネルソンを名指しでネカクサが批判をしたし、当たり前だけど、各チームとも
プライドがある。俺らのほうがクラブ・アメリカより優れていると。

だからバルセロナが来たときにもしなかったような対応を求める。さすがにそれは出来ないけど、
でも、そういう風に自分が誇りをもてるチームって羨ましいなぁ、とも思ったことは事実である。

昨年末、CWCのVIPラウンジにて、参加しているチームを羨望のまなざしで見ていた自分。MLSのチームだって
一緒に仕事をインターリーガでするが、皆自分のチームのジャージを誇らしげに着ている。
そういうスタッフを見て、チームという誇りに羨ましさを感じている自分をも発見した。

翌朝、解きもしなかった荷物を持ち、インターンのダン・イアネッタに空港まで早朝送ってもらう。一旦自分は
ミネアポリスに飛ばなくてはならないのである。自分の不在の間は昨年末から僕の部下として
働いてくれているルイスに引継いだ。彼は去年インターンとして僕の部下であったマルク・サバテ同様に
優秀だと思って一目置いている。メキシコ系アメリカ人で、背がひょロット高くハンサムでモテル。

生まれも育ちもアメリカの2世で、サッカーで全米でトップ10に入るNYにあるセント・ジョーンズ大学サッカー部
出身で、一緒にサッカーもする。技巧はゲームメーカーである。
元々は財務部のインターンであったが、サイモンと僕でうちの部に、と引き抜いた。

今大会は自分が日本出張中から色々と手伝ってもらい、大会中はUAGテコスのリエゾンとして頑張ってもらった。
さっきも書いたようにリエゾンが優秀であるとチームからの不満は聞こえてこない。
テコスからは一切不満が出なかった所か、感謝の印にチームのネクタイと、ユニホームまで
もらえた。一重にルイスのおかげだと思う。

話は戻し、ダン・イアネッタに空港まで送ってもらう最中、彼の就職への希望などを聞かせてもらった。
彼は実は僕と同窓で、UMASSの現役学生である。教授の話や、授業の話、そしてSUMでの仕事はや
将来について。

SUMはルイスにしろ、ダンにしろインターンにかなりの責任を負わせる。それは本人のためのみならず
それをマネージする上司の教育のためでもある。例えば、ルイスに関して言えば、ネルソンからは
「ルイスの成長、不満、喜び、やりがいは全てタケのマネジメント能力の反映だ。」
といわれている。優秀なインターンを見つけ、育てることが出来、就職に結びつけば、
タケもマネジャーに昇格だ、という話である。

非常に効率的な考え方だなと思うし、ルイスのほかに今自分はマルクも採用したいと考えている。

ダンは、僕の同僚のジェフがマネージしており、試合運営を手伝う。僕の目から見れば、そこまで弱冠22歳のダンに
任せても良いのか、と不安になるが、見事にやってのけるから関心してしまう。

さて、インディアナポリスへダラスを経由したため、朝10時にLAを発ったにも関わらず時差も調整して、
夜の7時半に到着。TシャツのLAから水が凍るインディアナポリスへ。時差も気温もここまで変化する中で
体調がやはり不安になった。
しかし、実は今回から飛行機用の新兵器を登用。
LAのホテルでは荷物は解かなかったものの、チェックインはしました。その部屋には何と安眠グッズが置いてあり
開けて見ると耳栓、アイマスク、そしてラベンダースプレーが。
これを飛行機の中で使ったところ、
今までは比べ物にならないほど良く寝れました。面白いものですねぇ。

また最近使用し始めたのがアメリカで発見をした免疫力を補助する「AIRBORNE」と言うビタミン剤。
説明書によると、たくさんの子供がいる教室にていつも風邪を移されていた先生が、それを防ぐために
免疫力を高めるために編み出したビタミンやハーブのレシピが販売されるようになったもので、
飛行機に乗るときとか、人ごみ入るときに飲むと良いとされるものである。これには助かりました

さて、レンタカーを震えながらし、ホテルへ。インディアナポリス在住のアメリカ陸上連盟にて
働くSさんと夕飯を食べ、熱く色々と語り、地元のレストランやリカーショップなどを教えていただくことが出来、
翌日からの仕事への準備を。
しかし、Sさんの情熱と、食べるのを止めてまで語る姿勢にはいつも刺激を受けます。
一方で僕はぱくぱく食べているのが申し訳ないのですが(笑)。
その日はクタクタなまま就寝。

さて、なぜインディアナポリスへ来なければいけなかったのかと言うと、インディアナポリスでは
全米コーチ連盟(NSCAA)の年次総会が開催されているのです。毎年、この総会とMLSは提携をし
この総会の中でMLSのスーパードラフトを実施します。大体全米中のサッカーコーチ約1万人強が集まり、
巨大な展示会、様々なパネルディスカッション、コーチングセッション、そして表彰式が開催されます。

とにかくアメリカで最も大きなサッカーコーチイベントで、コンベンションセンターを貸切で実施し、
会場はあちこち変わるのですが、今年はインディアナポリスであったのです。

これのスポンサーがアディダス社で、毎年世界の著名なコーチや監督を招待し、パネルディスカッションを
行うのです。過去にはペレ、エメ・ジャケ、ジェラール・ウリエ、ロジェ・ルメールなど
そうそうたるメンバーが招かれてきました。そして今回は何と我が日本を代表する岡田武史氏が
招待されたのでした。今回岡田氏はパネルディスカッションと、フィールド上で、トレーニングセッションを
それぞれ一回ずつ実施することになっており、それの通訳としてアディダス社様に依頼を受けたのです。

セッションはそれぞれ無事に終えました。特に二日目の実技セッションでは初めてフィールド上で
監督の同時通訳を務め、非常に興味深い経験をつませてもらうことが出来ました。
日本でも色々と外国人の監督がいる中で日本人の選手に指示を伝えることは難しいだろうと
思ってましたが、日本語を英語に伝える上に初めてということでとても勉強になりました。
同時にセッションの前に岡田氏がノートの上にささっとトレーニングの概要説明をするとき
なるほどぉ、こういう練習かぁ、意図はこういうものかぁ、と嬉しくなってしまいました。
こういう練習をしたいなぁ、などと。。。
逆にこういう日本独特のきめ細かい練習を果たしてボランティアの地元の高校生選手たちは
理解、そして実践できるのかなぁと不安にもなったが、意外も意外彼は巧かったです。彼らが巧かったおかげで
スタンドで見入っていたアメリカ人コーチたちにも練習の意図が伝わりやすかったと思います。

個人的にお話をさせていただく中でも知らなかったようなお話なども聞くことが出来、非常に光栄な
ためになった時間でした。このような機会を下さったアディダスの方々には改めてお礼申し上げたいです。
また、岡田氏からはご帰国後すぐに丁寧なメールを頂戴しました。こんな僕にもこのような配慮を
下さる岡田氏の人徳にはやはり感銘を受けました。一生の思い出になります。

ここで「ベッカムニュース」が公表されたことを知る。

このコンベンションは上述した通りありとあらゆるコーチが集うもので、中でも目立ったのが
日本では超有名なクーバーコーチングでした。以前から色々な方々から「是非会うべきだ」、と
言われてきたトム・バイヤーさんにもようやく会うことが出来ました。お互いに共通の知り合いから
お互いのことを聞きながら、会うことはなく3年ほど経過していただけに感動的なものであったと
同時に、日米双方への深い理解があるお方だなぁ、と感心もしてしまいました。
最終日の夜、ドラフトのために集まっているMLSの監督たちと、トムとバーでお酒を飲み、再会を誓いました。
またトムさんに会うべきだと、盛んに進言をしてくれて、色々と調整をして下さった恩師Sさんにも
お礼を申し上げます。

さて、そんな余韻に浸る間もなく、すぐにまたパッキングをし、早朝7時半の便で、LAへトンボ帰り。
初めてファーストクラスに乗ることが出来ました。今まで本当に飛行機にはたくさん乗ってきましたが、
一度、ビジネスクラスに尊敬をする先輩Mさんからの餞別としていただいた際に乗ったことがあっただけで、
ファーストなんて夢のようでした。
。。。今までにないほど気持ちよく飛行機の中で寝ることが出来ましたし、
カスタマーサービスの悪いアメリカでもサービスも食事の質も良かったです。
恐らくこの出張中で一番落ち着いて、美味しい朝食だったのではないかと思いながらゆっくりと噛み締めました。
アメリカではお金を払えばサービスも受けられるという国を改めて実感。安いファーストフードでは
代金にサービス代は含まれていないので、日本のような素晴らしい対応は安い所では期待できません。
「スマイル0円」という考え方はアメリカではあり得ません。

LAに到着したらルイスがピックアップに来ててくれました。
3日間しか離れていなかったのが、何か懐かしく嬉しかったですね。
そのまままっすぐホームデポセンターへ。
というのも、30分後には歴史的な「スーパーリーガ」の記者会見が始まるところだったのです。

有名なことですが、アメリカとメキシコの両国のサッカーは大きなライバル国同士です。
2002年W杯の両国の対戦の激しさは記憶に新しいことでしょう。それ故、この両リーグが今回発表をした
両リーグ間の王者決定戦の大会は歴史的に見てもものすごいニュースなのです。詳細はこちらに譲ります。

スタジアムにスーツケースを持ったまま到着すると記者会見へ向けて緊張感バリバリはってました。
ネルソンも笑顔はなく指揮をびしびしと。それもそのはずです。この大会は2年近くかけて念入りに
ネルソンが中心になって進めてきたものでした。

この記者会見にはMLSコミッショナー、SUM社長、メキシコリーグコミッショナー、メキシコサッカー協会会長が
一同に揃うもの。ここで大会の発表と同時にロゴのお披露目を衛星放送で世界中に行うのです。

そんな中、ぴりぴりしているネルソンが、時間通りに来ていなかったジェイソンに変わって
「タケ、荷物を降ろしてすぐに配置につけ」と。
配置?え?まじ?と思う間もなくトランシーバーを渡され、皆の輪に。ダン・ベロン、リッチ、ジェフ・ヘイズ、
皆と真剣に打ち合わせを。そして僕の役割は何と、ロープをダンと共に引く役!
ジェフ・ヘイズが「3・2・1・バンザイ、でロープを引くように」と。「バンザイ?」と思ってたら
親日家のダン・ベロンが僕ににこっと。
おかげさまでまたすぐに皆の輪に溶け込めました。

記者会見終盤にカウントダウンと合わせてロープを引き、幕を落とし、ロゴが現れ、紙ふぶきが舞う。
このロープ引きなのです。
いやぁ、たかがロープ引き、されどロープ引き、実は滅茶苦茶緊張しました。と言うのも、
リハーサル中にクリスティがやったときは幕が巧く彼女のサイドだけ落ちなかったそうです。
持ち場につくと、お役ごめんになったジェイソンにも「俺は巧く言ったけど、これで失敗したらやばいぜ〜」と
プレッシャーを。本当に一人で勝手にどんどん緊張しました(笑)。

さて、それはそれで終わり、そのまま決勝戦の打ち合わせ、花火のタイミングから、優勝セロモニーの
リハーサル。これも僕は元々は関係なかったのが、テーブルを運ぶ役の人が他の役に回ったために
急遽僕がやることに。たかがテーブルされどテーブル、入念に打ち合わせしました(笑)。

観客もどんどん入ってきて、売り切れまで後チケット数2500枚まできました。試合中もあちこちに
走り回り、いよいよ優勝セレモニー。優勝はネカクサ!
試合終了と同時に皆、手際よく、トロフィ授与へ。しかし選手たちが喜びすぎて、主将がトロフィを
取りに来ない。選手たちも踊りだし、無線ではサイモンが「早く渡せ!早く渡せ!!!!」と。
ダン・ベロンが選手に飛び込み何とか渡し、紙ふぶきが舞い、報道陣が押し寄せ、何か全てが
スローモーションに見えました。終わったぁ!って。試合も完売で売り切れ!

試合後、運営室でスタッフがそれぞれ持ち場から戻ってきてネルソンの計らいでピザとビールが。
皆でお祝いをしながらそれぞれ感想を言って回った。
「本当に2週間に渡ってよくやってくれた。この大会は4年目で、立ち上げたときは数人しか関わっていなかったのが、
今大会は初めて大勢のスタッフが参加してくれて、大会の規模も大きくなった。それぞれの名は出てこないけど、
皆歴史をまた積み上げたことをそれぞれ一生の思い出、プライドにしてこれからも進んで行って欲しい」
とネルソンが最後に締め、円陣と記念撮影で結んだ。

実はこの大会でサイモンはSUMを去る。娘が生まれたばかりで、娘との時間を大事にしたいと言う理由である。
アレハンドロも去年去った。今では僕がネルソンの次にベテランだ。
SUMのイベントは国際試合専門である。
年間に合計30試合近く回す。今年は60試合近くまでその数は膨れ上がった。

アレハンドロもサイモンもその渦中で忙殺されることに限度を感じた。自分の時間を大事にするアメリカにおいて
長時間労働と、頻繁に出張を強いられる。アメリカ大陸の移動は広いが故に中々大変だ。

自分は彼らほど責任をまだ持たせてもらえてないけど、心身共に磨耗する。全て何事にも変えがたい経験である。

サイモンとは広報部でインターンをしていたときからの上司である。色々と二人で額をつき合わせて
仕事をしてきた。いつも励ましてくれた。アレハンドロもサイモンも一つしか歳は変わらず、それなのに
部長としてプロジェクトを色々と牽引してきた。自分の手本であり、友であった。

彼らがいなくなった後、もっとしっかりとしなくては、と思うと同時に感謝の気持ちでいっぱいであり、
このような仲の良いスタッフと働けたことにまた感謝したい。
今は少しゆっくりとして、来月に控える
メキシコ代表USツアーへの準備、そして自分のプロジェクトに腰をすえたい。

今日はマーチン・ルーサー・キングデーで幸運にも休み。
我が家でカレーライスにラーメンと好物と共にゆっくりと出来たことに深く感謝してます。



     
     
     

*スタッフ皆での集合写真はダンから受け取り次第掲載します。





 


         Copyright © 2002 Takehiko Nakamura.
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